第22回 学びの動機

 岡田 雄介(龍谷大学)

今振り返ると、既にセピア色の想い出となっている新人時代。新卒で採用された頃は、とにかく研修を繰り返し受講した記憶がある。本学は、昔から体系的な研修プログラムが整っており、新人、5年目まで、それ以上、さらには主事補、主事、副参事・・・等々の資格別研修、管理職になってからも、また、海外研修や自己啓発研修など、多様な研修機会があり、比較的充実した人材育成プログラムがある。それこそ「SD」という言葉もなかった時代から、幾つもの研修を受講したものである。
 しかし、受動的に受ける研修はなかなか身に付かない。まして、研修を受ければ終わり的なものは、残念ながら次の日には多くを忘れてしまっていた。
 後に、松尾睦先生の「経験学習論」や金井壽宏先生の「実践知」理論などに出会って、なるほど確かに!と納得したが、動機としての出来事、例えば危機に直面、大きな責任を負わされる、苦い失敗体験、初めてのチャレンジなど、負荷やストレスを感じるような場面に直面し、そこで解決策を見出そうと懸命に努力したプロセスでの学びは、その後も自身のキャリアに生き、かつ成長を促すものになったと言える。

前置きが長くなったが、私は大学職員となって最初の3年ほどは、毎日が転職を考えるくらい、やり甲斐を感じていなかった。その後、人事異動を繰り返し、学長室に勤めるまでは、大学職員としての自分は責任ある存在に成り得ていなかったと思う。
 今から18年前、私が学長室勤めになる一年前、本学を揺るがす大事件があった。黒歴史として、学内関係者も今や触れることが憚れる法科大学院の不認可騒動(その要因は紙面の都合で割愛)である。今日の設置認可制度が確立してから数十年ぶりの不認可となって、本学以外にも数校あったが、新聞紙上を賑わす一大事であった。当時の私は、このことが悔しくて仕方なかった。
 何故そうなったのか?責任を追求する学内議論が渦巻いていたが、起きてしまってことは仕方ない。それよりも私は、羹に懲りて膾を吹くのではなく堂々と再チャレンジするのか?あるいは、諸般の事情により流れが不認可に傾いた設置審の動きを読めなかった大学当局の見通しの甘さは改善されるのか?といった点に問題意識を持ち、そのことを本学教員や大学執行部、管理職の方々に問うて回ったが、満足のいく回答は得られなかった。しかし、このような判断ミスを繰り返していては、これから迎える大学淘汰の時代、本学は沈んでしまう!という危機感から、学内で教えを乞うても得られないのであれば、外に求めようと考え、私大連の研修や各種セミナーへの参加、そして、桜美林の大学アドへの進学等、学びの考究に勤しみ、その行き着いた先が大学行政管理学会(JUAM)であった。
 私の大学職員としてのキャリアは27年ほどになるが、主体性を持って学びに取り組むようになってから、多くのことを学び、人的ネットワークを拡大させてきた。また、他大学におけるグッドプラクティスの知見を得て、さらには博識のある先生方に師事して学びを深めることができた。その学びの動機づけが、私の場合は常に「今そこにある危機」であったように思う。

 さて、JUAMは学会創設以来、四半世紀近くの時が経つが、当初は管理職しか加入できず、その存在を知ってはいたが、どこか遠くの出来事と思っていたのが二十代。桜美林を修了して、期待を込めてJUAMに加入したのが三十代の後半。そして、管理職になった三十代の終わりから、齢五十となった現在に至るまで、私の「大学職員としての学び」の傍に寄り添う存在がJUAMである。本学会を立ち上げ、草創期を率いて来られた先人の方々がよく口にする「JUAMは学びと励ましのネットワークである」ということを日々、実感している。また、コロナ禍にあって、対面で会えないからこそ、その実践が求められ、学会としての価値が今、問われていると言えよう。
 JUAMは、学びを深めようと思えばそれに応えてくれる存在であり、今はしんどくて、業務が立て込んでいて、少し距離を置こうとなっても、それを見守ってくれる存在でもあると思う。本来の学会のあり方とは異なるのだろうが、会員の皆さんの、それぞれの事情や意欲に応じて活用できるのがJUAMの良いところ。
 これからも、私はJUAMの発展とともに学びを継続させ、若い会員の皆様の活動に刺激を受けながら、さらなる成長をめざしたい。