第4回 JUAM事務局(市ヶ谷オフィス)の新しい生活様式
藤井 哲彦(國學院大學)
大学行政管理学会(JUAM)の専用オフィスは、設立直後は東京・中央区日本橋の丸善ビル内に置かれていましたが、2度の移転を経て2007(平成19)年6月から現在の市ヶ谷オフィスが稼働し、専属のスタッフも雇用しています。一昨年に前任校から事務局長を引き継いだ私が、現在、この市ヶ谷オフィスの実質的な管理運営責任を負っています。
普段は所属大学(國學院大學)で勤務しつつ、オフィスと連絡をとって業務指示や判断、勤怠管理などをしています。事務局校にはJUAM会員である事務局長補佐が3名いて、それぞれ所掌する事務局業務を担っていますが、いずれも大学の本務を抱えながらの兼務なので、日々の円滑な事務処理は専用オフィスとスタッフなくして成り立ちません。
着任から半年近くの間は、繁忙の中で何とか前例を踏まえつつ事務局運営に努めていました。それが一変したのが、昨春以来の新型コロナウイルス問題です。昨年3月25日夜に都知事から外出自粛要請が出されると、私は自分自身の職場や家族のことだけでなく、市ヶ谷オフィスの責任者として、出勤するスタッフの安全配慮と業務運営の両立をどう図るか、前例のない判断と速やかな対策を実行する必要に迫られました。
ただ、都心部の通勤ラッシュ時の感染リスクを自分自身でも感じていたこと、当会の運営は市ヶ谷オフィスのスタッフが安心・安全に日々の業務を継続できる環境が大前提であるのは明らかなことから、市ヶ谷オフィスをひとまず一時閉室すること、及び速やかに在宅勤務(テレワーク)への移行を図ることを、私はほとんど迷いませんでした。会長から市ヶ谷オフィスのコロナ禍対策を一任していただけたこと、スタッフの皆さんからもこの時期、率直な相談や状況報告を連日寄せてもらえたので、市ヶ谷から離れていても現況に即した判断がしやすかったことも大きかったと思います。
それに、私が大学職員になる前に働いていた企業では、所掌業務によっては出社と在宅勤務の併用方式(今でいうハイブリッド型)が可能でした。仕事の内容によるのはもちろんですが、テレワークなんて言葉も知らず、インターネット環境が今ほど整っていなかった2000年代初頭に恒常的に在宅勤務をしていた経験を持つ私には、「仕事は出社して行うものである」という固定観念がもともとないのです。
そのため、都知事による外出自粛要請の直後に市ヶ谷オフィスの一時閉室を決めると同時に、当面の業務内容とスタッフの各自宅のPC環境等を在宅勤務に対応できるように準備を始めました。4月7日に政府が緊急事態宣言を発令したときには、すでにスタッフはそれぞれ在宅勤務態勢に入っており、オフィスの長期閉室も想定していました。
もっとも、その場しのぎの緊急対応なので、限界もあります。スタッフが自宅に所有するPCでは対応できないソフトがあるため、通勤ラッシュを避けて夜明け直後に、私と各スタッフが市ヶ谷オフィスに集まり、在宅での業務に必要な重い機材や重要書類の搬出作業を行いました。重量機材は私の自転車の荷台に乗せて、早朝と外出自粛で人出が少ない都心部を長途走り抜け、スタッフの自宅まで運んだりもしました。
その後、緊急事態宣言の解除を受けて6月から、市ヶ谷オフィスは週2回(月・金曜)のみ開室を再開しました。それまでの2ヵ月間の経験で、少なくとも当会の事務局運営に関しては、在宅勤務でできることと出勤して対応すべきことがある程度区別できていれば、スタッフが毎日出勤する必要はないことがはっきりわかりました。単にコロナ禍を避けるだけでなく、スタッフの通勤手当の支出が大幅に削減できるメリットもあります。
(会員専用ページ「事務局便り」2020年11月24日付け記事「市ヶ谷オフィスのテレワーク態勢を強化しました」も併せてご覧ください)
日本社会全体が確たる先例を持たない国家的非常事態に直面したことで、たまたまその時期に事務局長を拝命していた自分が、20余年の歴史を持つJUAM専用事務所のあり方を一気に大変動させたと自覚しています。その評価は次期以降の事務局長や会員の皆様によってシビアになされるものと心得ていますが、同時に、そのような変革を一定の責任ある立場で経験していることを、我ながら幸運であるとも思っています。
事務局長の任期が満了する今年9月まで、あとわずかです。JUAMの運営が今後も安定的、かつ継続的に行われる態勢を整えて次の事務局校へバトンタッチできるよう、3名の事務局長補佐とともに精一杯努めますので、市ヶ谷オフィスと事務局校による新しい運営方式へのご理解、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。