第16回 私(大学職員として)の土台

泉谷寿志(宮城学院女子大学)

大学職員になって最初に配属された部署は教務課だった。当時(1980年代後半)の大学は、18歳人口の増加に対応するべく入学定員の増加が認められ量的拡大が進み、「教育の質」等はあまり求められていなかったと言っても過言ではない。

そのころの大学職員は大学教員の補助的役割をする者と位置づけられ、事務局の電算化もあまり進んでいなかった。本学でも教務課業務のほぼすべて(科目登録、採点・成績処理、証明書発行等)が手作業で行われていた。

そこで、入職後すぐに私に課せられた業務は前職の経験(IT企業のプログラマーを経て、高校の理科教諭)を活かして、手作業で処理されている業務を電算化することであった。教務業務をプログラム言語に置き換えていくには、業務の細部まで理解する必要があった。それに加えて入学定員増を目的とした学科新設にも着手していた時期でもあり、大学職員3ヶ月目の「超新人」でありながら認可申請書類提出のため当時の文部省に帯同する機会も与えられ、大学設置基準についても学ぶことができた。

長時間労働で帰宅は深夜という日々で、今でいう「ブラック企業」に転職してしまったのではないかと思うほど、過酷な10数年間を教務課で過ごした。でもそのおかげで、教学運営に必要な知識と経験を身につけられたとも言える。その後、学生支援、入試等に異動もしたが、認証評価の第1期から第3期に携わり、現在、大学事務部長として職務を果たせているのは、あの辛い新人時代があったからだと思っている。

1990年代に入ると、大学職員は大学教員や学生と並んで大学の主要な構成員であるという「大学職員」について議論されるようになり、様々な大学職員のための研修会に参加するチャンスもあった。他大学の教職員との交流の中で大学によって組織編成や業務に大きな違いがあることを知り、自分が業務を遂行する上で有益な情報を得ることができた。大学間の関係からみれば他大学は競争関係にあるにもかかわらず、良き理解者・協力者であるという点について、一般企業から転職してきた自分には不思議な関係であると感じたことを思い出す。

大学行政管理学会の門を叩いたのは2007年である。あれから15年が経過したが、地方の女子大学に勤める自分にとって全国の学会員との交流は、視野を広げてくれる貴重な場となっている。これまで交流した皆様からの情報を参考に、所属大学の業務改善に取り組むことができた。大学職員として30余年となるが、大学職員としての土台の一部になっていると改めて感じるとともに、これまで交流・ご助言をいただいた先輩諸氏に感謝申し上げたい。

最後に、大学設置基準等の改正(2017年)において「当該大学の教員と事務職員等との適切な役割分担の下で,これらの者の間の連携体制を確保し,これらの者の協働によりその職務が行われるよう留意するものとすること」と明記され、大学職員の能力・資質の向上を図ることが一層求められようになった。
しかし、金田会長が第1回リレーコラムに書かれたように、今もなお「事務」「事務方」等と呼ばれることがあることに自分も違和感を覚える。大学職員と大学教員は、それぞれの役割を全うしつつ、大学の運営では協働する関係であり、どちらも必要な存在であると信じ、我々は決して「教員に仕える『お手伝い』のような存在」ではなく、大学教員とともに大学を運営する役割を担っていることを自覚しながら、大学職員生活を全うできればと思っている。

そのためにも学会員の皆様には、「今後ともどうぞよろしくお願いします」と紙面を借りて伝えたい。

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