第21回 無知を自覚すること
加藤尚子(青山学院大学)
JUAMの事務局からコラムを依頼され、いったい何を書いたらよいのか?と考えたが、今回は、私が大学職員として過ごしてきた中で気づき、大切だと思っていること「無知を自覚すること」について少し書いてみようと思う。
私が大学行政管理学会に入会したての頃、おそらく大学職員になってから7~8年くらいたった頃だっただろうか。仕事にも慣れ、ある程度仕事も処理できるようになってきて「大学職員は、与えられた仕事さえしっかりこなせていればいいのかな」となんとなく思い始めていた矢先、何かの勉強会だったと記憶しているが、本学会の初代副会長だった村上義紀さん(元早稲田大学副総長)にお会いした。
私は、村上さんのお名前はどこかで聞いたことはあったが、その時は思い出せず(のちに私立大学連盟の新人層研修に参加させてもらった時の私大連研修委員会委員長だったことを思い出したのだが)、この方はどういう方なのだろう?と思っていた時、不意に村上さんから「あなたは、世界で最初にできた大学とはどこか? そこでは何を教えていたのかこたえられるか?」ときかれた。
この問いに対するこたえは、大学の起源には諸説あるけれども、一般的には11世紀から12世紀にかけてヨーロッパで起こったユニバーシティやカレッジがその起源とされ、世界で最初にできた大学は、イタリアのボローニャ大学やフランスのパリ大学といわれている。またそこでは「神学」「基本的な教養」「法律」「医学」の4つが教えられ、これらの学問が枝分かれして現在の学問分野「人文科学系」「社会科学系」「自然科学系」が成り立っているのだが、この時、私は、村上さんからきかれた問いにこたえることができなかった(高校の世界史の教科書に載っているにもかかわらず・・・)。
そして、このことは、少なからず、私に衝撃と大学関連知識を学ぶきっかけを与えた。
大学に勤務しているにもかかわらず、私は、大学がどのような歴史をたどってきたのかをはじめ、大学に関連することをまるで知らない。このまま、自分が働く場所に関連する知識を知らないまま仕事を続けていて本当によいのだろうかと・・・。
人によっては「実際、職員が行っている仕事は実務であり、大学に関連する知識を学んだとしても、実務に活かされることは少ない。だから、(大学関連)知識を学んでも、それほど意味はない。自己満足にすぎない」と考える人もいるだろう。また、現実として、大学関連の知識を知らなくても目の前にある仕事を処理することはできてしまう。
とはいえ、私は「自分が働いている場所(大学)のことを知ることはやはり必要だ」と感じ、大学について学んでみようと思った。
ただ、大学について学ぶといっても、そもそも大学に関する知識がまるでない私は、何から学び、何を学んだらよいのか、正直、まったくわからなかった。そのため、手っ取り早い方法として、高等教育や大学経営について学ぶ大学院に通えば、何を学べばよいのかがわかるかもしれないと思い、桜美林大学大学院の大学アドミニストレーション専攻に入学した。そして、そこで「高等教育論」「大学の理念」「日本、アジア、欧州、アメリカの高等教育」「大学の財政」「第三者評価」「カリキュラム分析」など、大学を理解したり実務を行ううえで基本となるようなことを学んだが、大学院に通って痛感したのは「自分がいかに無知であるか」ということだった。同時に感じたのが、自分が無知であることを自覚しないで仕事をすることの怖さだった。
何かを決めたり、判断しようとする場合、こたえはひとつではない。しかし、できるだけ最善の決定や判断をしたいと考えるのであれば、多くの情報や知識をもとに決める方が、より妥当性のある決定や判断につながるだろう。また、決定や判断にいたった理由にも説得力があると思う。
「自分は、無知である(自分には、知らないことがたくさんある)。知っているつもりでも、まだ知らないことがあるかもしれない。」
「無知を自覚すること」が、私が大学職員として過ごしてきた中で大切だと気づいたことであり、私にとっては、無知であることの自覚が、新しい学びにつながっている。