第42回 平等と多様性

佐藤 琢磨(法政大学)

 先日、高校教員向けのイベントに参加した後、地方の高校教員や地元の大学の職員と意見交換する機会があった。「探求授業」や今年から導入された新たな「学習指導要領」から「入試科目」まで様々な話題におよんだ。やがて、学生支援の話になり「チャレンジしたいことがあると相談にきた学生を応援しようとすると、“平等”が優先され、最終的に頓挫することが多い」という話をきっかけに、今後の学生支援のあり方について盛り上がった。古くて新しい話題の一つだ。
 私たちには無意識のうちに「平等」という価値を、第一に考える傾向があるのではないだろうか。以前、イスラム教徒の学生から「お祈りをする場所はないか。授業中の決まった時間に行いたいが、どうすればいいか。」という相談があった。部内で議論すると「対応に向け検討してみよう」派と、「個別対応はきりがない。平等に対応すべきだ」派に、意見は分かれた。意思決定する際には、各ケースの「状況」や「文脈」を踏まえつつ、本人の立場や類似相談の件数、実現難易度、学生の納得感など、様々な観点から総合的に検討することが重要だ。上記ケースの場合「平等」と「支援の妥当性」の間に、いかに折り合いをつけるかが焦点となった。最も避けたいのは、低コストで実施可能な条件が揃っているにも関わらず、「平等ではないこと」を理由に実施を見送ることだ。平等や公平という価値は重要であることは間違いない。しかし、一方で、それらの価値を過度に重視するあまり、知らず知らずのうちに、学生支援という重要な「仕事」を引き換えにしてはいないだろうか。いうまでもないが、キャンパスは学生が自分の可能性を試す場であり、私たちの役割は、そんな学生を応援することだ。個別案件は他部局と交渉したり、責任を問われたりするケースもある。面倒なことには手を出したくないという本音もあるだろう。当然、「支援」するリソースも有限であり、学生の要望すべてには応えることは難しい。それでも「どこまで支援できるか」を検討する姿勢が、私たちがとる最初の行動でありたい。平等優先により「全員が何も得られない結果」になるよりは、少人数だけでも支援できるケースは、そう少なくない。
 加えて、昨今では「多様性」という価値が日本社会にも広がり始めている。本学でも、2018年に「ダイバーシティ宣言」がなされ、その推進に取り組んでいる。この宣言では、大学が多様性と柔軟性を有し、創造的で革新的な場であることが前提とされている。また、本年10月1日に改正施行された「大学設置基準」の背景には、予測不可能な時代における「学修者本位の教育への転換が必要である」ことがうたわれている。その実現のために「高等教育は「多様な価値観を持つ多様な人材が集まることにより新たな価値が創造される場」となること、すなわち、多様な学生、多様な教員、多様で柔軟な教育プログラム、柔軟なガバナンス等を実現していくことが求められる。」と述べられている(“令和4年度大学設置基準等の改正について”文科省HP)
 今後、大学には「多様性」という概念がさらに広がっていくだろう。それに応じて、学生支援においても、様々な対応が求められることが予想される。18歳人口や生産年齢人口が減少し、技術革新が目覚ましいスピードで進んでいる。私たちの従来の価値観や考え方を、社会の変化にあわせ、定期的にアップデートすることを忘れないよう心がけたい。

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