第44回 大学職員に転職してみたら…
篠﨑 裕二(立命館アジア太平洋大学)
来年度に定年を迎える私にリレーコラム執筆のお声がけをいただきました。立命館アジア太平洋大学(APU)の職員としては初めてということで、APUのことも少しわかっていただけるように書いてみたいと思います。
私は新卒で銀行に勤め、APU開学1年後の2001年に転職でAPUに入職いたしました。銀行は企業活動を通じて利益を上げて納税し、人を雇用することを通じて社会に貢献しますが、自分にはあまり向いていないとずっと感じていました。より直接的に社会貢献できる仕事がしたいと思い、教育系への転職を考え、また留学経験もありましたので、何か国際的なことができる仕事を探し、国際大学APUの求人募集を新聞で見つけたのです。
最初はキャリア・オフィスに配属になりました。まだ就活前の2回生までしかいない大学でしたので、業務はインターンシップやキャリア教育の基礎的なものや、企業連携が中心でした。この企業連携が独特で、そもそもAPUは当時の平松大分県知事が大分に国際大学を作りたいと呼びかけて、それに立命館が応えて出来た大学です。APUは最初から学生(と教員)の半分を外国人とする計画でしたが、世界から優秀な学生を集めるには、大学の信用力と奨学金が必要でした。アジアを中心とした各国とは今よりも経済格差があり、奨学金の支援は必須でした。そのため、有力な企業の経営者や、各界の著名人がアドバイザー・コミッティ(AC)というAPUの「応援団」を作ってくださいました。また、奨学金の原資となる多額の寄付を企業等からいただき、サポーティング・グループ(SG)というものも組織していました。これらは平松知事の通産省時代のコネクションもありますが、実働部隊として立命館学園の先輩方の頑張りの成果でもあります。そのおかげでまだ影も形もなかったAPUの「信用」が高まり、「奨学金」による学生支援が可能になり、計画を開学一年目で達成することができました。
こういったお世話になった企業の皆様に、APUで育つ学生を実際に見ていただき、現状をご報告することを企画し、2001年11月28日~30日にかけて国際・国内混成部隊の学生60名以上を引率して、東京・大阪・福岡をまわるツアーを行いました。各都市でホテルなどの会場を借り、合計約140社の主に人事担当役員に方々にお越しいただき、学生との懇談などを行っていただいたのです。この時に一緒に参加した学生たちとは今でも付き合いがあり、私の大切な財産となっています。
当時から立命館はいろいろなかたちで企業とのお付き合いがあり、その後もいわゆる大企業を含め企業・団体とのご縁がありました。銀行の世界では、ヒラ行員が大企業の役員に会う機会ほとんどありません。おそらく企業の社会はどこもそうでしょう。しかし、大学というのは、そういった敷居をぐっと引き下げる力があることを実感する機会が多々ありました。メガバンクの会長や、フラッグキャリアの社長、大商社の名誉会長、ひいては大臣や某国の元大統領などとの名刺交換をヒラ職員でありながら当たり前のようにしてきましたが、そういった仕事は他にはあまりないのではないかと思います。
また、APUで働く醍醐味は、文字通り世界中に行けたことです。特に海外の学生募集を約7年間やり、その後校友(卒業生)業務を2年担当した時は、アジアを中心に毎月のように国際線に乗っていました。レアな体験をたくさんしましたが、書き出すととても紙幅が足りませんので、また別の機会とさせていただきます。
ここまでの職員生活を支えてくれた同僚、上司、また友人の皆様、家族に心より感謝をして、小稿を終わらせていただきます。