第51回 私が大学職員として生き残れた理由
中原 正樹(京都産業大学)
私が大学職員となったのは2003年。当時、大学行政管理学会(JUAM)の入会資格は管理職以上であり、加入資格のない私にとっては遠い存在だった。それから月日が経ち、2007年に入会資格から管理職以上の条件が撤廃されても、そんなことには気づかない日々を過ごしていた。
新米社会人の私は、控えめに言っても生意気だったに違いない。はじめてプロジェクトに参加したときには、当時に流行りだったマニフェストを作成して、事務局長に直談判した。会議に遅れた管理職にも、遠慮なく理由を問いただしていた。振り返れば、甘酸っぱい思い出ばかりがよみがえってくる。きっと、当時の上司は、相当に扱いづらく、手を焼いていただろう。「若気の至り」という言葉で、許してもらうしかないことばかりである。
そんな生意気な私が、大学職員として生き残れたのは、大学を取り巻く環境が変わり始め、大学業界全体に変革の機運が高まっていたからだと思う。所属大学では、私が採用された年から人事考課制度がスタートし、中長期計画であるグランドデザインの策定も始まっていた。急激ではないけれど、18歳人口の増加という上昇気流から離脱し、自力航行可能な大学になろうと、大学の空気感は変わり始めていたように思う。
JUAMは、そんな時代を象徴するような存在だろう。JUAMには、初めて参加した研究会をきっかけに、2011年に入会した。そこには、現状に甘んじることなく、くじけずへこたれず、前向きに働く先輩や後輩、同年代の職員が大勢いた。また、私よりずっと生意気で(自分比)、けれども情熱的で、努力を重ねている職員にもたくさん出会うことができた。俺様一番の私を受け止め、率直に叱咤激励してくれる先輩からは、たくさんの刺激をいただいた。ひたむきに研鑽を続ける後輩と話せば、背筋が伸びた。これまで参加した勉強会やフォーラムと異なるその場の雰囲気は、きっと自らの意志で参加している人が集まっていたからなのだろう。
JUAMに入会して約10年。私が今も意欲をもって仕事に取り組めるのは、所属大学やJUAMで多くの出会いに恵まれ、たくさんの元気とやる気、そして明日への活力をもらったからだ。今も私は自分のことで精一杯でJUAMには力をいただくばかりだが、一生懸命に仕事やJUAMの活動に取り組むことが、少なからず自大学やJUAMに貢献できる道だと言い聞かせて毎日を歩んでいる。