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第3回 「鯉のぼり」と大学生活

高橋章建(成蹊大学)  大学時代、茶道部の稽古で床の間に飾る掛軸の中で、私のお気に入りの一つが、鯉のぼりの逸話に関する次の掛軸でした。 「三級浪高 魚化龍」(さんきゅう なみたかくして うお りゅうとかす) 中国では河川の恵みが生活を支え、逆に河川の氾濫が生活を奪っており、為政者にとって治水が重要な課題であった時代、この治水の功で夏王朝の初代皇帝となったのが禹(う)でした。彼は黄河流域の竜門山を三段に切って落として治水事業を行いましたが、これが瀧となり、三月の桃の季節に鯉が集まり、この三段の瀧を登り切った鯉は、龍となって昇天していくという逸話が、「登竜門」の語源となり、「鯉のぼり」の習慣となって現在も続いています。 小さい頃から毎年、子供の日に鯉が空高く竿になびいている光景を見ていたため、不思議に思った事もなく、親から子供の成長を願っての事だよと言われて、空を舞う鯉を自然と受け入れていました。 大学に入学すると、同居の兄に、「陶芸かお茶なんか面白いんじゃないか」と軽く言われた事が何故か頭の片隅に残り茶道部に入部、5月連休前の稽古時に床の間に上級生が飾ったこの掛け軸の意味を教えて貰った際に、鯉のぼりには、こんな出典でこういう意味があったのかと初めて知り、軽い感動を覚えました。これが切っ掛けとなり、その後部所蔵の軸・色紙の意味や、その出典を調べることから始まり、それ以外の茶掛けにも次第に興味が移っていきました。 茶席の軸や色紙に書かれている言葉は、「茶禅一味」と云われるとおり、禅語や中国の古典が出典となっているものが多く、書店や古書店で禅語関連の本を探して読んだり、図書館で漢詩集から該当の一節を探したり、専門分野と全く関係のない事に結構な時間を費やしましたが、探し求めた語句に辿り着いた時の感動や喜びは何とも言えないくらい、私に充実感を与えてくれました。 授業での予習復習は、期日や時間に追われつつ「何とかこなしていた」感じでしたが、期日に左右されず、自分の興味に従って新たな知識を得ていけることが何とも楽しく、当時はインターネットもない中で、ひたすら自身の時間と足で得る体験は、大学生活を更に充実させてくれる一つの要素でした。 大学生活で得られるものは様々ですが、自身の「好奇心」や「興味」を引くものと大学生活の初期に出会えたことは幸せな事であり、その中で身に着けた「継...

第2回 「人・本・旅」の宝庫である大学行政管理学会

近藤智彦(愛知大学) コロナ禍の今夏、オンラインセミナーで立命館アジア太平洋大学学長の出口治明先生のお話を聴く機会がありました。分かりやすい例えやユーモアを交えた内容で、時間はあっという間に過ぎました。先生のお話の中で特に印象に残ったのは、人間の学びの方法についてです。今回はこのことを紹介したいと思います。 先生は、人間が賢くなる方法は「人・本・旅」に学ぶことであるとおっしゃっています。「人・本・旅」とは、「人間は人から教わることで、自分を成長させられる。本を読むことで、その本を書いた昔の時代に生きた人やはるか遠方にいる人から学ぶことができる。人や本から知識を学び、それだけではなく、旅をしていろいろな文化や伝統に触れて、さまざまな人や考え方、発想パターンを真似することで考える力が鍛えられる。」ということです。 このお話を聴いて私にとっての「人・本・旅」は、まさに大学行政管理学会(JUAM)であることを改めて認識しました。JUAMには1,200名を超える会員がいます。自大学の教職員から学ぶことはもちろんありますが、他大学の教職員の皆様からは、普段同じ環境のもとで仕事をしている自大学の教職員の間では気が付かないようなものの見方や考え方を教えていただくことがあります(人からの学び)。また、設立20年を超えるJUAMの学会誌や研究データベースには、数多くの研究業績や取組事例が蓄積されています。これらから得た知見は、自大学の制度改革や業務改善を進める際の参考になっています(本からの学び)。年に1度の研究集会、年間を通じて開催される各研究会への参加(旅)により、新たな出会い(人)があり、参加者の皆様からいろいろなことを教えていただくことができます。さらに深めたいことは関係の資料等(本)にあたって調べ、業務知識の幅を広げることになります。研究交流を通じて、自分自身の考え方や自大学の取組を相対化することができます。さらに、JUAMの良いところは、人事異動等により所属部署や担当業務が変わったとしても会員資格を有している限り、「旅」が途中で終わることはありません。所属大学の役職や担当者という立場で参画している学外の委員会等は、異動した時点で後任者へ交代することになりますが、JUAMの場合はその必要がありません。 今般のコロナ禍の中でもJUAMを通じてお世話になっている皆様から本当に多く...

第1回 「事務」と呼ばれることに?

  金田 淳一(法政大学)   事務職員はしばしば「事務」と呼ばれることがある。特に教員サイドからそのように呼ばれることがある。悪気はないのだろうし、何気なく発してしまう言葉なのだろうが、あまりいい気分はしない。事務の意味を新明解国語辞典(第六版)で引くと「主として組織の運営上必要な書類・帳簿などの作成やその処理に当たる業務(仕事)である」とある。ちなみに広辞苑(第七版)では「事業経営などに必要な各種の仕事、主として机に向かって書類などを処理するような仕事をいう」となっている。新明解国語辞典の説明の方が自分にとってはしっくり感じる。いわゆる仕事、業務の内容(性格)を意味する言葉であるが、職員自体を示す言葉として用いられていることが意外に多い。 『 IDE 現代の高等教育 NO499 ( 2008 年 4 月号)』で山本 眞一元桜美林大教授は次のように書かれている。 「・・・・職員が大学の経営の中枢にかかわることが難しかったのは、古くからの大学観、つまり極論すれば「教官の、教官による、教官のための大学自治」という考えにとらわれて、職員は教員に仕える「お手伝い」のようなものだと捉えがちであった関係者の偏見によるところが大きい。教員はしばしば大学職員のことを「ジム(事務)」と呼ぶが、この言葉には無意識にその偏見が含まれていると感じるのは、私だけであろうか。」 広島大、筑波大で教授を歴任され、日本高等教育学会長を務められた方でさえ、このように語られているのに、職員自らこの言葉を使っているのは情けない気がする。 そのように言ってしまうのは、言いやすいからなど理由はあるかもしれないが、議事録等正式な書類で使われることは我慢できない。以前、本学の部長会議である方が「事務が・・・・」と発言され、議事録チェックで当方にも回ってきたとき、そのままの表記だったので、「事務 職員 が・・・・」と修正するよう、担当事務局に要請したことがある。 それならそのような場合、どのようにいうべきだろうか。面倒でも「事務部、事務課、事務局、事務職員・・・」と言わなければと思うのだが。「事務方」という言い方もある。当方はあまり好きな表現ではないが、公務員の世界では使われているようである。過日賑やかしている日本学術会議会員の任命拒否問題では、「事務方トップの・・・・官房...