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第17回 縁に導かれ、大学職員として歩む

是友めぐみ(神奈川大学) 不思議と導かれる縁というものがある。 私は今こうして神奈川大学で大学職員としてやりがいのある仕事をさせていただいているが、これはそうあるべくして導かれた縁なのだと考えることがある。 氷河期の底といわれる時期に就職活動を迎えた私は、児童書を専門とする出版社で働きたいと考えていた。まだホームページ黎明期であったと思うが、憧れていた出版社の求人ページは各社どこも「今年は採用の予定はありません」と淡々と掲載されているのみであり、その夢は叶うはずもなかった。 職種を広げできるだけ多くの企業に応募し、数えきれないほどの今でいうお祈りメールの洗礼を受け、何とか教育系出版社に入社したが、慣れない土地での寝る間もない日々に、心が折れそうになることもあった。しかし、学校現場を支援するその仕事を通じて、知ることや考えることの面白さを若者に伝えることに全力になる先生方の奮闘を目の当たりにし、教育というフィールドを仕事にできる喜びを知ることができた。 退職後もこのような思いが頭を離れず、教育現場の求人情報を求めてハローワークに通う日々。そんな折、母が偶然今の勤務先の求人を新聞で見つけてくれ、専任職員としての採用が決まった。 実は勤務先である神奈川大学は、同郷ということで祖父と親交のあった先生が創立された学校であり、私は幼少期からその話を聞いて育った。祖父は私が高校生の頃に亡くなっておりそのことが応募の動機ではないが、恐らく私はその縁に導かれてこの場にいるように思う。 祖父は教育を何より重んじる人であった。自らは若いころに横浜に出てきて会社を立ち上げ、ひたすらその事業を成功させることに一生を捧げた(と私には見えた)が、一方で教育に対して大いに関心を持ち、子どもの教育にも熱心だったという。私が小中学生の頃には、終業式を終えるとその足で祖父のいる店舗に行き、通信簿を見せてお小遣いをもらうのが孫たちの決まりとなっていたが、毎回何を言われるかとても怖かった思い出がある。また地域における様々な教育活動にも積極的に関わっていたそうである。 神奈川大学は昭和初期の不安定な社会情勢の中、勉学意欲があっても経済的困難等の事情で進学の叶わない勤労青年のために学ぶ機会を提供しようと、横浜に開設された。そういった背景を当初から知っていたであろう祖父は、叶わなかった勉学という夢を、ここ横浜の若...

第16回 私(大学職員として)の土台

泉谷寿志(宮城学院女子大学) 大学職員になって最初に配属された部署は教務課だった。当時(1980年代後半)の大学は、18歳人口の増加に対応するべく入学定員の増加が認められ量的拡大が進み、「教育の質」等はあまり求められていなかったと言っても過言ではない。 そのころの大学職員は大学教員の補助的役割をする者と位置づけられ、事務局の電算化もあまり進んでいなかった。本学でも教務課業務のほぼすべて(科目登録、採点・成績処理、証明書発行等)が手作業で行われていた。 そこで、入職後すぐに私に課せられた業務は前職の経験(IT企業のプログラマーを経て、高校の理科教諭)を活かして、手作業で処理されている業務を電算化することであった。教務業務をプログラム言語に置き換えていくには、業務の細部まで理解する必要があった。それに加えて入学定員増を目的とした学科新設にも着手していた時期でもあり、大学職員3ヶ月目の「超新人」でありながら認可申請書類提出のため当時の文部省に帯同する機会も与えられ、大学設置基準についても学ぶことができた。 長時間労働で帰宅は深夜という日々で、今でいう「ブラック企業」に転職してしまったのではないかと思うほど、過酷な10数年間を教務課で過ごした。でもそのおかげで、教学運営に必要な知識と経験を身につけられたとも言える。その後、学生支援、入試等に異動もしたが、認証評価の第1期から第3期に携わり、現在、大学事務部長として職務を果たせているのは、あの辛い新人時代があったからだと思っている。 1990年代に入ると、大学職員は大学教員や学生と並んで大学の主要な構成員であるという「大学職員」について議論されるようになり、様々な大学職員のための研修会に参加するチャンスもあった。他大学の教職員との交流の中で大学によって組織編成や業務に大きな違いがあることを知り、自分が業務を遂行する上で有益な情報を得ることができた。大学間の関係からみれば他大学は競争関係にあるにもかかわらず、良き理解者・協力者であるという点について、一般企業から転職してきた自分には不思議な関係であると感じたことを思い出す。 大学行政管理学会の門を叩いたのは2007年である。あれから15年が経過したが、地方の女子大学に勤める自分にとって全国の学会員との交流は、視野を広げてくれる貴重な場となっている。これまで交流した皆様からの情報を...

第15回 コミュニケーションは奥が深い!

表 健生(金城大学) 金城大学は、石川県白山市にある保健・医療・福祉の大学です。 私は、民間企業の営業職から転職して学校法人金城学園の事務職員となり、早や15年が経過しました。あっという間の15年間でしたが、その間、教務、学生生活支援、新課程設置準備、国際交流、法人本部などの業務を担当し、2021年4月からは、入試広報部へ異動となりました。私が社会人となって以来、現在も日々感じていること、それは「人とのコミュニケーションは奥が深い!」ことです。 コミュニケーションの際、私が注意している点は以下の2点です。言葉で表現すると簡単ですが、実践するのはかなり難しいと感じています。 ①相手を理解し、受け入れること ②相手に伝わるように伝えること 事務職員は、学生、保護者、教職員、その他外部の方、など様々な方々とのコミュニケーションの場面があります。私自身も、授業の履修相談で事務局窓口に来る学生、問題提起をする保護者、各種業務で関連する教職員、協定締結に係る国外の国際交流担当者、をはじめ、日々新しい出会いとコミュニケーションの連続です。その場面で、相手の立場になり相手を理解して受け入れ、相手に伝わるようなコミュニケーションを心掛けています。 人にはそれぞれ固有のタイプがあり、それは不変のものです。相手の考え方などを変えるのではなく、相手に合わせて自分を変えること、それが円滑なコミュニケーションへの近道、と考えています。また、「伝えた」という自己満足ではなく「相手に理解してもらえて伝わった」となるよう伝え方に注意しています。 今年4月から学生募集業務を担当し、高校生と対面で会話をする機会が増えました。初対面の高校生に、ごく短時間で本学の魅力を伝えるのですが、打ち解けた頃には終了時刻、となることがしばしば、の現状です。「相手に伝わるように伝える」ことの難しさを、改めて実感しています。 事務職員間においても、コミュニケーションは最重要事項です。部署内等で依頼した資料作成について、「依頼したものと違う資料が完成した」という経験、皆さんにもございませんか?私にも多々、この経験があり、反省するところです。これは、コミュニケーション不足や「伝え方」に課題があり、「受け手」の課題ではないものです。メールや文書でのコミュニケーションでも、「短文かつ要点を明確に」を心掛けていますが、未だに反省と努...

第14回 コロナ禍での学内会議から見えてくるもの

福島謙吉(埼玉大学) 新型コロナウイルス感染症感染拡大により、令和2年4月に最初の緊急事態宣言が全国に発出されました。その後も、適用地域は異なるものの緊急事態宣言あるいは、まん延防止等特別措置が複数回適用されてきました。本学でもその都度、構内入構制限、授業実施形態、課外活動の制限、教職員の在宅勤務等について、適用の可否検討を行い、決定をしてきました。 このような状況下で、学内で行われる会議の開催形態にも大きな変化がありました。多くの大学でも行われていると思いますが、本学でも多くの学内会議がリモート開催形式になりました。これまで、対面形式の開催が当然であると考えられてきた学内会議がリモート形式になったことに、会議をセッティングし、事務局となる会議担当者も当初は違和感を持っていましたが、開催回数を重ねるごとにスムーズな議事が行えるようになりましたし、会議出席者の中にはリモート形式での開催を歓迎する者も多く出てきました。そのため、緊急事態宣言が解除された状態になっても、本学では令和2年度、大部分の学内会議をリモート形式で開催することとしました。 ただし、リモート形式の開催に変更しがたい会議もありました。主に学外委員が出席する会議です。学外委員は、大学の諸活動に接する機会が会議出席時に限られることが多いため、我々としては、対面での会議開催を目指し、コロナ禍での大学運営に接してもらえるように努めてきました。しかし、緊急事態宣言が出されている中では、大学としては万全の対策は施すとしても学外委員にリスクを負わせるわけにはいかないという判断のもと、結果としては、学外委員が出席する会議もリモート形式で開催することを決定しました。緊急避難的な判断ではありましたが、学外委員が出席する会議の開催形態は、今後も試行錯誤が続きそうです。 そして、基本的に構成員が学内者のみの学内会議は、コロナ禍終息後もリモート開催が通例化することが考えられます。それまで、リモート授業の導入がほとんど進んでいなかったにもかかわらず、コロナ禍を機に一気に普及したように、対面での開催が当たり前だった会議が、新型コロナウイスルのまん延という奇禍を契機として、リモート形式での開催が常態化していくことになるかもしれません。 その趨勢は、新型コロナウイルスまん延が沈静化してみないとはっきりしないことですが、コロナ禍がそれまで...

第13回 キャッシュレス時代に新紙幣を夢見て

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 根本和彦(津田塾大学) 3年後の2024年に、紙幣の肖像画が変わります。新一万円札の渋澤栄一は今年の大河ドラマにもなり、大々的に取り上げられています。そのような中、津田塾大学の創立者である津田梅子も新五千円札の肖像画となるため、少なからずメディアに取り上げられるようになりました。 国立印刷局の方が本学に来られたのは、新紙幣発表の前日でした。国立印刷局には10年以上も前に、津田梅子の写真を技術者の訓練用に貸し出していました。その関係で訪問を受けたのですが、当時、事務局では人手不足のため私は3つの役職を兼務しており、その中のひとつが津田梅子資料室事務室長でした。このため、私が本学で最初にこの吉報を受けることになりました。その時は大変驚き、そしてこのような喜ばしい情報を一番最初に知ることができたことに感動しました。忙しくとも求められれば、どんな仕事でも引き受けるものだと思いました。 津田梅子は日本初の女子留学生としてアメリカに11年留学しました。この留学は明治新政府が女子教育のために企画したものでしたが、最初の募集の際には応募者がいませんでした。何とか5人集めて岩倉使節団と共に留学させたのでした。ところが、その留学生たちが帰国した後、留学の成果を発揮する何の処遇も用意されていませんでした。梅子は官費で留学させてもらったのだから、何か世の中にお返しすることはできないかと考え、学校を立ち上げたのでした。 私たち大学職員は研修に出していただいたり、勉強させていただく機会があります。そのような際には自分自身のため、自分の業務のためにと思ってしまいがちですが、その直接的な成果だけではない形で大学あるいは大学を取り巻く社会に還元しなくてはと考えて研修を受けることは少ないと思います。気の向かない研修や業務を引き受けることも多いと思います。しかし、無駄な経験はないはずです。得られるものを探して、次に繋いでいくことを考えることができるかに真価が問われているのではないでしょうか。 新紙幣の発表の後、津田塾大学では2024年から五千円札しか使えなくなると、学生の間で冗談が囁かれていました。その後、コロナ禍によりキャッシュレスが進んで紙幣の将来に陰りが見えますが、新紙幣にはまだ見ぬ新しい役割が待っているはずです。その可能性を夢見て、今求められていることに応えていきたいものです。 (画像...

第12回 社会人大学院生の経験から

西向仁史(北海道医療大学) 私は、40歳を過ぎてから社会人大学院生となり、経営学の修士を取得しました。 皆さんは社会人として大学院で学ぶ自分自身を想像できるでしょうか? また、大学院で学んでみたいと思われたことはありますでしょうか? 大学職員になる前の私は、大学院を難しい研究をする場所と考えていて、全く興味を持っておりませんでした。また、高校からの友人が大学卒業後に大学院へ進学したことや、就職時の同期入社に修士修了者がいたこともありましたが、私自身が進学することなど考えたこともありませんでした。しかし、大学職員になり、大学院生と話す機会や大学院での学びを知る機会が多くなり、興味を持ちました。 個人的な経験ですが、自動車を購入するために自動車ディーラーへ行ったときに、車を所有せず自転車通勤している営業担当者から説明を受けたことがあります。その営業担当者はモデルチェンジした新型車の魅力を熱弁するのですが、私はどこか冷めてしまい、そのディーラーへは二度と行くことはなくなりました。 自分自身について思うのですが、「大学院に進学を考えています。」と相談されたときに、私が自信を持って進学を勧めるには、自分自身が修士を取得していた方が自分の経験を踏まえて話せるのではと思う事があり、これも興味を持った理由です。 大学院に興味を持ち、現実的に通学可能な大学院を調べてみました。 ①自分に合った研究テーマがある。 ②仕事に影響なく夜間、土日に開講されている。 ③社会人入学枠がある(入学試験の勉強はもう無理です...)。 ④入学金や授業料に社会人減免措置があり、ハローワークの教育訓練給付制度もある(少しでも経済負担を少なく...)。 欲を言えばきりがありませんが、これらに該当する大学院は意外に多くあり、候補リスト1番の大学院の入学説明会に参加しました。 社会人の入学枠があることから、説明会には20歳代から私よりも歳上の方まで幅広い年齢層が参加されていました。説明会終了後に、その場で研究テーマを訊かれ、情報工学をミックスしたような特殊(異端)なテーマをしか思い浮かばなかったのですが、会場におられた一人の先生から、「それであれば私が指導できますよ。」と声をかけられ、修士論文や研究の進め方などの話を伺ううちにイメージが明確になり、入試対策までしていただきました。 入試は基礎教養ではなく研究テーマ...

第11回 人事異動による気付き

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稲垣智成(南山大学) 新型コロナウイルスの感染拡大が続き、複数の都府県に「緊急事態宣言」または「蔓延防止等重点措置」が適用される大変厳しい状況が続いています。みなさんの大学では、どのような教育活動が行われていますでしょうか。 愛知県名古屋市にある南山大学では、感染予防対策を徹底したうえで、オンライン、対面、そしてオンラインと対面の双方を用いたハイブリッド授業の3種類の授業を実施しています。また、課外活動についても、合宿や飲食を伴う活動および感染リスクの高い活動を除き、屋内・屋外での活動を認めています。2020年度は、キャンパス内で学生を見る機会は多くはありませんでしたが、2021年度は、多くの学生の姿を見ることができ嬉しい限りです。少しでも早く新型コロナウイルスが終息し、誰もが安心してキャンパスライフを過ごせるようになることを願うばかりです。 そのような状況のなか、私は2021年4月1日付で、理事会運営を支援する法人部門へ人事異動となりました。3月までの学生支援部署では、授業が始まれば窓口は静かになり、授業と授業の間の時間となれば、窓口に学生の列ができるという、学生の動きを感じることができました。 しかし、私が人事異動した法人部門は、物理的に大学とは異なる場所に位置していることもあり、学生の姿を目にする機会はほとんどありません。法人業務や管理業務と言われる業務では、学生との直接的なやり取りが少ないことから、学生とのつながりを意識することが難しく感じることがあります。 ただ、今回の人事異動により、理事会等において、学生のことを最優先に考え、判断、協議していることを知ることができ、自身が担当する理事会準備や関係者との調整などの業務が、学生が安心、安全に学ぶことに繋がっていることを理解することができました。 日々の慌ただしさから、業務の意味や目的を考えることもせず処理してしまいがちですが、目の前の業務が、どのような形で学生と繋がっているのかを理解することの重要性を改めて気付かされる良い機会となりました。